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BLUE RECORD#037('98.11.1 RELEASE)
〜 遊戯という名の冒険 〜
遊戯シリーズ第一作『最も危険な遊戯』の松田優作=鳴海昌平は、変な柄の綿入れにサングラスというふざけたスタイルで登場する。麻雀で一人負けした彼は相手の客たちにイチャモンをつけるが、逆に袋叩きに遭い、金をむしり取られて放り出される。そんなチンケな男が実は高額の報酬で殺しを請け負う一匹狼で、仕事となれば非情さをむき出しにしてプロフェッショナルに徹する。コミカルな部分とシリアスな部分がお互いを引き立て合うこの鳴海昌平というキャラクターは、プログラム・ピクチャーにふさわしい娯楽性を持っていた。そこには松田優作の登場を待たずして終わりを告げた、かつての日活アクションの残像が見え隠れしてはいるが、しかし松田優作の鋼のように鍛え上げられた肉体や鮮やかな身のこなしは、その残像を踏み越えた新しいアクションの予感に満ちていた。
拉致された社長の救出を依頼された鳴海は、誘拐グループを率いる居郷の情婦・杏子の部屋に押し入ると、彼女をサディスティックにいたぶって凌辱し、社長の監禁場所を突き止める。単身敵地に乗りこんだ彼が銃撃で一味を全滅させ、社長の救出に成功しかけた時、予想外の銃弾が社長の命を奪い、鳴海も脇腹をえぐられて傷つく。ここから鳴海は、巨大な国家プロジェクトをめぐる軍需コンツェルンの策動に巻きこまれ、桂木警部が指揮する警察組織の妨害を受けるばかりか、仕事の依頼人からも裏切られることになる。その一方で、居郷を裏切って行き場所を失った杏子は、鳴海の傷を手当すると、料理まで作ってすっかり居着いてしまう。鳴海は杏子を冷たくあしらうが、しかし冷たくあしらえばあしらうほど、逆に彼女がどこかで鳴海の弱味になるだろうと予測できる。
桂木は杏子の口をふさぐために彼女を車で連れ去ろうとする。それに気づいた鳴海はどこまでも走り続けてこれを追う。普通ならバカバカしい場面だが、そこには演じているのが松田優作だからこそ許される強引な魅力がよく表れていたと思う。桂木は引込線のある港の倉庫地帯に鳴海を誘いこむと杏子を盾にして、身動きの取れない鳴海を撃つ。鳴海はもんどりうって倒れるが、桂木が安心した瞬間に跳び起きて逆転の一発を撃ちこむ。あらかじめ胸に鉄板を入れていたのだ。鳴海は港の逆光の中に立ってとどめの銃弾を放つが、この時の画面は流された血の色と鳴海の押し殺した怒りが滲んだような赤い光に包まれていて、ハードボイルドならではの印象的なシーンとなっている。
「素敵なゲームをありがとう」
依頼された仕事の遂行と裏切り者への復讐を終えた鳴海は、このセリフを残して再び冒頭のチンケな男に戻り、ストリップ劇場のシーンでは『人間の証明』のテーマ曲が流れていたりする。この『最も危険な遊戯』で提出された、組織に対する鳴海の身の置き方や女との関わりのなかでこぼれ出る弱さ、ジャズとブルースを基調としたクールな音楽、隠れ家のような部屋、トレーニングや銃器の点検といったお約束のシーン、組織暴力によるリンチと裏切り、大勢を相手にしたクライマックスでの銃撃戦といった見せ場は、その後のシリーズで踏襲されるだけでなく、松田優作という俳優のイメージを決定づける要素となった。
続くシリーズ第二作『殺人遊戯』は、鳴海が美沙子の手引きで頭山会の会長の部屋に飛びこみ、一発で相手を撃ち殺すところから始まる。仕事を終えた鳴海は美沙子を連れて港に車を停めると、彼女の頭に銃口を向けるが、結局殺さずにそのまま立ち去ってしまう。それから五年の時が流れ、鳴海は雪駄にランニングシャツ姿で、サングラスをかけて麦藁帽子をかぶり、首には手ぬぐいという、前作以上にトボケた格好で港に帰ってくる。自動販売機を蹴り上げて缶ビールを二本タダ飲みし、軽トラに拡声器というチリ紙交換スタイルでクラブのツケを取り立てにまわったりと、前作以上にコミカルなタッチが強調され、全体の印象は直後のTVシリーズ『探偵物語』に近いものがある。
鳴海は寿会と花井組という対立するヤクザからそれぞれ仕事の依頼を受けて前金をもらうと、最終的には両方のボスを撃ち殺し、組を壊滅させてしまう。組織に属さない一匹狼という鳴海の設定は基本的に変わらないが、この作品での鳴海にはいわば三つの〈過去〉がつきまとっている。その一つは言うまでもなく美沙子だ。今では寿会の勝田会長の情婦になっている美沙子と再会した鳴海が、彼女への思いと自分の弱さにどう決着をつけるのか。それがサブ・ストーリーとして物語に陰影を与える仕組みになっている。二つめの過去は、かつて鳴海が殺した頭山会の会長の娘・昭子との出会いだ。当時は高校生だった彼女も今ではホステスになり、二宮という寿会のチンピラとつき合っている。彼女は五年前の一瞬のすれ違いを覚えていて鳴海を驚かせるが、誰にもしゃべってないし、恨んでもいない、と明るく話す。この若いカップルが抗争の犠牲になるという展開は、ヤクザ映画の定石と言える。三つめは文太の存在だ。名前からしてすでにパロディとなっているこの弟分を配することで鳴海との間に軽妙なギャグが生まれ、逆にシリアスな場面ではこれまた定石通り鳴海の足を引っ張ることになる。
これらの〈過去〉は鳴海の人間臭さを描き出すための道具立てなのだが、その配置と作りこみが甘いために、思ったような効果を挙げていない。美沙子のエピソードは何度もくり返されるうちに意味合いが曖昧になり、息苦しく感じられる。昭子のあっけらかんとした明るさは、鳴海や美沙子の屈折感を照らし出す役割を果たしてはいるが、その存在は美沙子の過去と重複しているだけに、ややまどろっこしい。また文太を演じる阿藤は一本調子で陰影がなく、わざとらしい。こうしてこの第二作は前作の悪しき自己模倣のレベルに終わっており、その分魅力も半減している。『最も危険な遊戯』以降の松田優作に求められたのは、一方ではその肉体のしなやかさと孤独な眼差しがあらゆる価値観や感情を凌駕し、自らを冷徹な殺し屋へと追いつめる姿であり、他方ではそうした孤独をコミカルな擬態によって絶えず解体する姿だった。もちろん「遊戯」とはその両者のバランスの上にしか成り立たない。シリーズ第三作『処刑遊戯』ではこのバランスが意図的に、しかも徹底的に崩される。まったくの孤独の中へと放り出された鳴海昌平は、コミカルな言動を禁じられ、セリフも極力切り詰められたまま、自分の確かな輪郭を求めてもがくことになるのだが、それは最早「遊戯」とは呼び難い。鳴海は行きずりの女・直子と一緒のところを襲われて拉致され、拷問を受ける。冒頭の、縄を抜け出した鳴海が再び捕まり、「松田優作」の名前がクレジットされるまでのシークエンスは、ただならぬ緊張感にあふれていて見事だ。組織は、直子と引き換えに岡島という腕利きの殺し屋を始末するよう要求し、「行きずりの女だ」と答える鳴海を無視して釈放する。組織からは催促の電話がくり返し入るが、鳴海は逆に見張りの男を痛めつけて組織へ出向き、契約以外の仕事はやらないこと、報酬の二千万円はびた一文まからないことを告げる。女への情に流されない鳴海のプロフェッショナリズムが貫き通されたかと思ったとき、彼の口から「女はどうした」という言葉が漏れる。この瞬間に鳴海は組織に屈服する。肉体の傷は回復しても、心の傷は広がるばかりだ。
物語のところどころに、直子と過ごした時間が回想として挿入されており、その中に二人が海岸を歩く場面がある。二人は子どものころの夢を語り合い、直子は歌手に、鳴海は船乗りになりたかったと言うのだが、このときの鳴海の「生まれたところが小さな港町でね…」という回想は、おそらく松田優作自身の回想と重なっている。そして突堤を歩く松田優作とりりィの姿には、常に海を背景にして欲望と希望と絶望を交錯させてきた日活アクションの無数の残像が重なって見えるはずだ。さらにはこんな場面もある。空港近くのホテルにこもって国外への脱出を図る岡島が、レストランで鳴海に気づく。岡島は鳴海の右手の包帯を見ながら「長生きしたければ利き腕は大事にすることだ」と言い残して立ち去るのだ。出演作品の役柄の上で、松田優作に先達としての言葉をかけたのは『竜馬暗殺』の原田芳雄と『処刑遊戯』での青木だけだと思うが、ともかくこのセリフはハードボイルドの名作『拳銃(コルト)は俺のパスポート』で宍戸錠が弟分のジェリー藤尾に言ったセリフを思い出させる。実際のところ、渇いた風景や音楽、女のからませ方や一分の隙もない虚構のリアリズムなど、よくできたハードボイルドという以上にこの二つの作品の手触りは似ている。
さて、鳴海はスコープで岡島の部屋を捉える。が、その部屋へ直子が現れる。彼女は組織が新たな殺し屋を引き入れ、繋ぎ止めるためのエージェントで、鳴海は自分が殺し屋としてだけでなく、女の面でも岡島の後釜だと知らされる。この瞬間に鳴海は再び組織に屈服する。直子は岡島の部屋でわざとカーテンを開け、灯りを点ける。岡島は慌ててカーテンを閉めようとするが、飛び立つジェット機の轟音がかぶさったその瞬間、鳴海のライフルが岡島の眉間を貫く。女は窓の中から「私も殺して」と叫ぶが、鳴海はそれを無視することでかろうじて自分を支えるのだ。
ところで鳴海が岡島を撃つ瞬間は、ある象徴的な意味を持っている。言うまでもなく岡島を演じている青木義朗は、日活のプログラム・ピクチャーには欠かせない敵役、それも徹底して悪役を演じ続けた俳優であり、石原裕次郎、小林旭、渡哲也といったアクション全盛期の表看板に対して、裏側からそれを支えた俳優の一人だ。青木はアクション末期の『反逆のメロディー』でも悪役刑事として存在感を示し、原田芳雄の演じるヤクザ崩れを追いつめ、狙撃隊を指揮して射殺させる。因果はめぐり、原田に憧れてそのスタイルからしゃべり方までを露骨に真似した松田優作が、今度は青木を射殺する。ここで「後釜の殺し屋」である鳴海昌平という役柄に写し取られているのは、「遅れて来たB級アクションのヒーロー」というレッテルを貼られた松田優作自身であり、このとき彼が撃つのは遅れて来たことへの負い目そのもの、あるいは自分の登場を待たずして消えた日活アクションの世界の残像ではなかったか。
組織の裏切りを知った鳴海は、そのアジトを襲って敵を一人づつ撃ち殺すのだが、銃撃のクライマックスには、冒頭のシークエンスを伏線とした鮮やかな見せ場も用意されている。組織の黒幕が国家権力の中枢にいたというオチも決してわざとらしくはなく、スーツに身を包んだりりィの歩く姿は『第三の男』のラストシーンを彷彿とさせ、画面と物語の両方を引き締めている。こうして遊戯という名の冒険はシリーズ第三作にして一つの頂点にたどり着いたのだ。物語の終わり近く、鳴海がちょうど時計屋を出ようとしたときに店の時計が一斉に鳴り始める場面があるが、それはまさしく新しいハードボイルド・アクションの完成を祝うかのようだった。
TEXT / 世良利和
写真提供 / 東映ビデオ
※松田優作 遊戯シリーズ各¥3.800(税抜)
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〜 スモッグの中でうたっていた、あの、ハマのブルースが最高だった 〜
平成10年、東映V-CINEMAから柏原寛司が脚本・監督を手掛けた素晴らしい作品がリリースされた。『ガン・ブレス』というタイトルだ。サブタイトルは「死ぬにはもってこいの夜」。主演の藤 竜也が運転するオンボロ車のカーラジオから、TOKYO FMの「内藤 忠と山中崇志のミリオンナイツ」が流れ、「今夜はあの人の特集で…」というDJの台詞から物語がはじまる。次の瞬間、クリエイションの竹田和夫のギターとともに松田優作の歌う「灰色の街」が流れる。それは、'80年代の頭に優作さんが主演した映画『ヨコハマ B.J ブルース』の挿入歌だ。映画公開後、優作さんはクリエーションのメンバーをバックに『HARDEST DAY』('81年)というブルース・フィーリングたっぷりのアルバムをビクターから発表しており、「灰色の街」はA面1曲目に収録されている。『ヨコハマ B.J ブルース』に、この曲はとても似合っていた。そう、あの映画のオープニングに流れた曲も「灰色の街」だった。
『ガン・ブレス』は、優作さんの曲とともにストーリーが展開されてゆく。優作さんの遊戯シリーズやTVドラマ探偵物語でも名脇役を演じた山西道広がプロの殺し屋に扮しており、SUMMER EYESというBARで標的を待っている。その間、「マリーズ・ララバイ」や「BAY CITY BLUES」がBGMで流れる。山西道広と藤 竜也の格闘シーンの後に流れるのは「日暮れの風唄」だ。そして、クライマックスは「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」をバックに盛り上がってゆく。ラストシーンで藤 竜也が拳銃の引き金を弾き、銃声が闇の中に炸裂する。ここでストーリーはシャットアウトされるが、BGMの音量は上がり、テロップが流れはじめる。テロップの最後に「制作協力 セントラルアーツ」の文字が現れるまで優作さんの歌う「YOKOHAMA HONKY TONK BLUES」が流れ続け、内藤 忠と山中崇志のDJで幕がおりる。この作品では、一連の優作作品とゆかりの深い片桐竜次、又野誠治らの名演技も絶品だったが、何と言っても終始流れていた優作さんの歌声がとてもいい味を出していた。アクション俳優の頂点を極めた優作さんの残した楽曲が、今こうしてアクション映画の中で使われ、その作品の雰囲気を盛り上げている。それはとても素晴らしいことでもあり、ぼくらに不思議な印象を与えてくれる。もしこの作品に優作さんが出演していたら、どんな役柄で、どんな演技を見せてくれたのだろうか? と疑問を投げかけてくれるのだ。「馬鹿な生き方しか出来ない、愚かな男の役を演じてくれたりしたら最高だな」と、叶わぬ夢を見させてくれたりする。
ぼくの中で、シンガーとしての優作さんは、アルバム『HARDEST DAY』で成熟している。このアルバムを映画『ヨコハマ B.J ブルース』のサントラ盤的な見方をしているファンも多いと思うけれど、ぼくは違う。全9曲中4曲の詞を自身が書き上げており、Leon Companyの山中博晶とともにプロデュースまで手掛けているのだ。アルバムリリース後のツアーにはクリエーションのメンバー 他、ヨコハマブルース・キングのエディ藩を起用するなど、音作りに対する意欲的な姿勢を見せている。『ヨコハマ B.J ブルース』では、オープニングのタイトルバックで優作さんが場末のブルース・バンドのヴォーカリストとして「灰色の街」を歌うシーンが儲けられており、そこがこの映画の見所のひとつとなっているのも見逃せない。宇崎竜童との短い絡みの後、ピンライトのあたる狭いステージに立ち、自らが映画の挿入歌をフル・コーラスで歌うというシーンだ。ここは、原案を書いた優作さんが自ら希望して採り入れたシーンではないか、とぼくは想像している。『HARDEST DAY』を発表する前年、'80年にアルバム『Touch』を初めてセルフ・プロデュースした時点から、きっと優作さんはシンガーとしてのオリジナリティを追求していたに違いない。そして、ただマイクの前で歌うだけではなく、ヴォーカリストとしての視覚的スタイルも徹底的に研究したに違いない。そうでなければ、『ヨコハマ B.J ブルース』のオープニング・タイトルバックで見せた優作さんのあのヴォーカル・スタイルはかっこよすぎる。
ぼくにとって、シンガーとしての優作さんの遺作は、あの映画のタイトルバックに映し出された、うただけでは食えない、灰色の街に生きる男の姿だった。
TEXT / YONEちゃん
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