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BLUE RECORD#040('99.2.1 RELEASE)-#041('99.3.1 RELEASE)


 ぼくがGrateful Dead(グレイトフル・デッド)を初めて聴いたのがいつだったか? それを正確に思い出すことは出来ない。たぶん20歳くらいのとき、1985年から'86年あたりではないだろうか。当時、ぼくはレコード・コレクターだった。これだけビッグ・ネームのバンドだから、とにかく聴いておかねば、という意識だったのだろう。数枚のアルバムを聴き、それをどう判断してよいかこまったことを何となく覚えている。フワフワとしてつかみどころのないサウンド。その音はカントリーやブルースをベースとしていながら、ぼくがそれまで聴いて来たどんなバンドの音とも似ていなかった。サイケデリック・ロックとしてぼくがイメージしていた音と、サイケデリック・ロックを代表するバンドであるグレイトフル・デッドのサウンドは、全く違うものだったのだ。実はそれこそがデッドの魅力である、と、後になって気づいた。

 少しづつデッドの魅力に気づきながら、'90年にはリアルタイムで2枚組のライヴ・アルバムを聴いた。そのアルバムが、ぼくの音の価値観の全てを変えた。ある瞬間に自分の住む世界が変わった、と感じたほどの衝撃だった。それ以降は、デッドのアルバムを全て集め、何度も聴き、'90年代にぼくが最も頻繁に聴いたアーティストとなった。

 昨年の夏、パソコンを手に入れインターネットをはじめた。バンド関係のサイトが充実し、ファン同志の交友が盛んなバンドのひとつであるデッド関連のホームページを眺めているうちに、何度目かの“デッドしか聴かない日々”に落ちいってしまった。オンライン通販でしか買えないCDなども手に入れ、もう完全に頭の先までドップリとデッド漬けの状態である。そこで、グレイトフル・デッドについて少しでも紹介出来ればと思いこのテキストを書きはじめた。国内の音楽系サイトの中では最高級にCOOLであろうブルーレコードのホームページにデッドの記事が載れば、また新たな出会いがあるかも知れない、という期待も込めている。

 では、バンドの歴史を年代順に紹介しながら、彼らの魅力について書いていこう。

 グレイトフル・デッドは1965年にいくつかの前身バンドを経た後、結成された。メンバーはキャプテン・トリップことヴォーカル&ギターのジェリー・ガルシア(キャプテン・トリップとは、'67年サンフランシスコのゴールデンパークで2万人を越える人が集まった“ビー・イン”コンサートで、マスコミが彼のギター・プレイに対して与えたニックネームだ。ぼくが参加しているバンド“ロバQ”がCDをリリースしているインディー・レーベルの名前にもなっている)、キーボード&ヴォーカルのロン“ピッグペン”マッカーナン、ベース&ヴォーカルのフィル・レッシュ、ギター&ヴォーカルのボブ・ウィア、ドラムスのビル・クルーツマンの5人であった。

 彼等のデヴューは「アシッド・テスト」と呼ばれるLSD(当時は合法)を用いたドラッグと音楽による実験であった。そのため、彼等の音を語るときには、やはりドラッグと切り離しては語れない。かといって、彼等の音楽はドラッグなしでは楽しめないものではない。

 '67年にファースト・アルバムをリリースするが、1曲を除いてカヴァー曲が占め、サウンドも堅く、決して最高の出来ではないにしろ、デッド・ヘッズ(デッドの熱心なファンのこと)となってから聴くと、後年の主要レパートリーとして演奏され続けた曲も多く、彼等のルーツとして聴くことが出来る重要作だと言えよう。同年にもうひとりのドラマー、ミッキー・ハートが加わり初期のメンバーが揃う。

 '68年にはセカンド・アルバム『アンセム・オブ・ザ・サン』をリリース。ライヴ演奏を収録したテープにスタジオで音を重ねたトータル・アルバムだ。後に重要レパートリーにもなる「ジ・アザー・ワン」を含む前半は、今聴いても斬新だ。

'69年作「アオクソモクソア」, Warner Bros/1790-2

 '69年には3作目『アオクソモクソア』を発表。ジャケット・デザイン、タイトルとも左右対称で、内容の方もサイケデリックでバラエティーに富んだ以降のデッド・サウンドを方向づける傑作だ。この年には、あのウッドストック・フェスティヴァルにも参加するが、セッティング不良の問題などもあり出来映えは最悪だったらしく、映画やサントラには収録されていない。前後するが、'67年のモンタレー・ポップ・フェスティヴァル(ジミ・ヘンやジャニス・ジョプリン、オーティスレディングを有名にした歴史的イベント)にもデッドは出演したが、主催者側ともめてこちらも映画、サントラ共に未収録だ。

'70年作「LIVE DEAD」, Warner Bros/1830-2

 '70年の頭には、名作『ライヴ・デッド』をリリース。'69年に行われたライヴからセレクトされたこの素晴らしいライヴ・アルバムは、彼等のリアルなエネルギーを見事にとらえた作品で、特に20分以上収録されている「ダーク・スター」は何度聴いても鳥肌ものだ。

 一方、CSNに影響を受け、ヴォーカル・パートに重点を置いたカントリー・タッチの名作2枚をこの年に発表している。名曲「アンクル・ジョンズ・バンド」「ケイシー・ジョーンズ」を含む『ワーキングマンズ・デッド』は、最もアコースティック色が強いアルバムであり、本当に美しい曲ばかりだ。フィル・レッシュやボブ・ウィアのソング・ライティングの才能が開花した『アメリカン・ビューティー』は、デッドのスタジオ・アルバムを代表する一枚としてもあげられる。初めて聴く人にも薦めたいアルバムだ。しかしこの名盤2枚をもってしても、後に演奏されていくライヴでのプロト・タイプであることはデッド・ヘッズには周知の事実だ。

'71年作「GRATEFUL DEAD」, Warner Bros/1935-2

 '71年にはドラマーのミッキー・ハートが一時グループを離れ、'75年に復帰するまでワン・ドラムであった。'71年、'72年は、たて続けにライヴ・アルバムを制作。2枚組、3枚組LPで、当時としてはボリュームたっぷりのはずだが、数々のデッドのライヴを聴き慣れて来ると、実際のライヴとの構成の違いが気になったりもする。が、それはマニアの意見ということで、内容の方はそれぞれのツアーのベスト・テイク集であるはずなので文句無しの名演だ。前者はオリジナル・タイトルとして予定されていた『スカル・ファック』が当然通らず、ファースト・アルバムと同じくグループ名がタイトルとなったが、デッド・ヘッズの間ではオリジナル・タイトルの方で知られている。後者は初のヨーロッパ・ツアーを収録した作品で、タイトルは『ヨーロッパ'72』。'70年代前半のデッドを知るには最適の一枚だろう。

 さらに'71年にはジェリー・ガルシア初のソロ・アルバム『ガルシア』、'72年にはボブ・ウィア初のソロ『エース』が発表された。この2枚のソロは、後にデッドの重要レパートリーとなる曲揃いで、デッドのメンバーが参加ミュージシャンとして名を連ねており、デッドのオリジナル・アルバムとも言える重要作だ。ガルシアのソングライティングやギタープレイからして、彼のソロが素晴らしいものであることは容易に想像できるが、ボブのソロは特筆すべきだろう。ジェリー・ガルシアこそがグレイトフル・デッドだと思っている人がいたら、ぜひともボブのソロ・アルバム『エース』を聴いてもらいたい。彼はこれ以降、ガルシアに負けない名曲の数々を産み出していくことになる。

 '73年には、オリジナル・メンバーのピッグペンがこの世を去るという悲しい出来事があった。が、キースとドナのゴッドショー夫婦をそれぞれキーボードとヴォーカルとして新メンバーに迎え、音楽的にはさらに向上していった。この夏には、ニューヨークのワトキンス・グレンでのフェスティヴァルにオールマン・ブラザーズ・バンド、ザ・バンドとともに参加し、60万人の観衆を集めた。その頃から'74年まで、「ウォール・オブ・サウンド」と呼ばれる600個に及ぶスピーカー・システムを使用したPAシステムを取り入れた。音響やライティング・システムにおいて常に最新かつ最高のものを取り入れ続けたのも、デッドがライヴ・バンドとしての人気を保ち続けた要因のひとつである。また、そのシステムを支えるための優秀なスタッフを保ち続けたことも重要だ。ライティングの魔術師キャンディス・ブライトマン、サウンド・マスターのダン・ヒリー。そして、ファンにまんべんなくチケットが行き渡るようにメイル・オーダーをさばき、ファンからの手紙やメッセージをメンバーに伝えるパイプ役を果たすアイリーン・ロウ 等の名前をデッド・ヘッズなら知っている。現在、そんな部分を引き継いでいる若いバンド達が現れているのはとても喜ばしいことだ。が、それらはデッドが始めたことなのだ。その「ウォール・オブ・サウンド」についてはヴィデオでも発表されており、「グレイトフル・デッド・ムーヴィー」でも見ることが出来る。この年、デヴューから所属してきたワーナーを離れ、自らグレイトフル・デッド・レコードを設立。そこから久々のスタジオ・アルバム『ウェイク・オブ・ザ・フラッド』をリリース。めずらしくゲスト・ミュージシャンを多く起用した意欲作で、ライヴで培ったものがスタジオへフィード・バックされることとなる。

 '74年にはバンドとしてのサウンドのまとまりがピークに達した『マーズ・ホテル』を発表。ここでは最もタイトなデッドを聴ける。デッドを「ヘタ・ウマ」のバンドだと思っている人にはこのアルバムをよく聴いてもらいたい。リラックスしたムードと緊張感を同時に表現するという離れ技をやってのけている。このアルバムでぼくが特に好きなフィル作の「アンブロークン・チェイン」は、'95年最後のツアーで演奏されているおり、早く音源化してもらいたいと願っている。

 この年の10月にバンドは一時休止することになるのだが、休止直前の地元シスコのウィンターランドで行われたステージが'76年になって『スティール・ユア・フェイス』という2枚組で発表され、映画としても前出の「グレイトフル・デッド・ムーヴィー」として残されている。これは彼等のほぼフル・ステージをとらえた映像として、現在手に入るものの中では最も古い作品だ。ステージだけでなく、ファンの姿やスタッフ達のことを知る上でも面白い内容だ。

 '75年は各メンバーがソロ活動に励む一方、そこで得られた新たな方法をデッドに持ち帰り、バンドとしての次なるステップに向けての充電期間となった年である。一時バンドを離れ世界中のパーカッショニストと共演、学習してきたミッキー・ハートが復帰したことが、彼らにとって何よりも大きな変化をもたらすことになる。ドラマーが2人となることでよりパーカッション的自由度が増し、それまでガルシアのギターを中心に行われていたステージでのインプロヴィゼイションが、よりバンド全体で弾力性を持ち受けとめる力を増す結果となったのだ。この年にはたった5回のライヴしかし行っていないのだが、リリースされたスタジオ作『ブルース・フォー・アラー』は、バンドに何らかの微妙な変化が起こったことを感じさせるに充分な力作として仕上がっている。

'77年作「TERRAPIN STATION」, ARISTA/ARCD-8065

 '76年に入り、いよいよ本格的なライヴ活動を再開。とりわけこの頃のガルシアのギターは切れ味が鋭く、'77年春のツアーはデッドヘッズの一番人気だ。その'77年に発表したアリスタ・レーベル移籍第一弾『テラピン・ステイション』は初めて外部プロデューサーを起用したり、スタジオも地元を離れロス、ニューヨーク、ロンドンといった地が選ばれている。'75年以降に起こった変化を積極的にスタジオへ持ち込もうという姿勢が窺える作品で、組曲となっているタイトル曲やレゲエと変拍子を組み合わせたボブの力作「エスティメイティット・プロフェット」、そしてライヴでは以前からよく披露されてきたカヴァー曲を収録するなど、後期デッドの出発点となった1枚だ。

 '78年9月、エジプトのギザ・ピラミッド前でビッグ・ギグとも言えるコンサートを開催。これはデッドが北アメリカ、西ヨーロッパ以外の地で行った唯一のコンサートでもある。

 同年12月31日には、'70年代にデッドのホームグラウンドであったウィンターランドでの最後のライヴが行われた。少し話が横道へそれるが、デッドがどの位のキャパシティを持つ場所でコンサートを行ってきたのかといえば、'65〜'69年フィルモア・オーディトリアムが1,100人、'68〜'71年フィルモア・イースト(N.Y.)、フィルモア・ウエスト(サンフランシスコ)が2,500〜2,600人、'67〜'78年ウィンターランド(S.F.)が5,400人、'67〜'89年オークランド・オーディトリアム(S.F.後に改名)が7,900人、'79〜'94年コロシアム・アリーナ(S.F.)が1万5,000人、'79〜'94年マジソン・スクエア・ガーデン(N.Y.)が1万8,000人といった具合だ。時代とともに大きなステージをこなす様になったことがよく分かる。'80年代以降は5万人を越える場所を使用することも珍しくなかったが、デッド自身は5,000〜1万くらいの中ホール(日本では充分大きなホールだが)が観客とのコミュニケーションや音響を含め好きだったようだ。アメリカのトップ・バンド達のライヴ会場はだいたいこんなものだと思ってもらって良いと思う。'78年にはプロデュースをリトルフィートの故ロウエル・ジョージが行った『シェイクダウン・ストリート』も発表している。乾いて躍動的なサウンドで、骨太なデッド・サウンドが楽しめる。

 '79年には、春のツアーを最後にキースドナ・ゴッドショーがグループを去り、元シルヴァーのブレント・ミッドランドが加入。基本的にライヴではピアノ・プレイヤーであったキース・ゴッドショー(彼のホンキー・トンク・ピアノも良いのだが)に変わって、ピアノ、オルガン、シンセサイザーを弾きこなしそして歌えるブレントの加入はデッドの自由さに拍車をかけ、さらにバンドをパワー・アップさせることとなった。古くからのファンの中には彼のハスキーで力強いヴォーカルをうるさく感じた人もいた様だが、これ以降の曲にはなくてはならないものだし、何にも増して彼の演奏テクニックの確かさと幅広さが'80年代デッドの大きな部分を担っていたのだ。

 また、ドラムスのソロ・パートもバンド結成時から欠かせないものであったと思われるが、それは'78年に初めてミッキー・ハートが持ち込んだものではなかろうか。世界中のパーカッションを交えたドラム・ソロ・パートが出現し、以降電気パーカッションなども加え、2人のドラマーがそれまでのロック・コンサートでのドラム・ソロでは聴いたことのない世界を創り出していくことになるのだ。

'80年作「GO TO HEAVEN」, ARISTA/ARCD-8181

 '80年に入り、ブレント加入後初のスタジオ・アルバム『ゴー・トゥ・ヘヴン』がリリースされる。この作品では、すでにブレントの作品が2曲(もちろんリード・ヴォーカルも彼)収録され、彼の地位がデッド内部でも確立されていることが示されていた。

 ボブの作品にも変化が見られた。彼の愛する古いフォークやブルースとデッドでのそれまでの積み重ねが自然にミックスされ、独特の世界を作り上げていた。ジュリーもまた、一聴すると地味ではあるが実に味わい深い楽曲を提供している。

'81年作「RECKONING」, ARISTA/A2CD-8523

 この年の7月、デッドを離れたキース・ゴッドショーがバイク事故で他界した。秋にはシスコとニューヨークでアコースティック・セットが披露される。デッドのコンサートは'60年代後期から一部、二部とその構成が分かれていたが、この時はアコースティックを含め三部構成で、この様子を収めたライヴアルバムを'81年に2枚発表している。アコースティック・セットの『レコニング』は、楽器をアコースティックに持ち変えてもデッドの魅力が何ひとつ失われないことを証明した素晴らしい作品だ。大音響やサウンド・エフェクトに頼らなくとも、サイケデリックな表現は出来るということだ。デッド・ヘッズの間でも人気の高いアルバムである。

'81年作「DEAD SET」, ARISTA/A2CD-8522

 4カ月空けて、同じ時のエレクトリックのステージを収めた『デッド・セット』もリリース。'70年中期以降を総括するかのような選曲と、力強くまとまった演奏で、デッドのライブ作品の中では最もポップで分かりやすく、入門者にもおすすめしたい作品である。ぼくも以前はよく聴いていたのだが、デッドに深くはまればはまるほど不思議と聴かなくなってしまった。なぜだろう? デッド・ヘッズの人であれば、その気持ちを何となく分かってもらえるような気がするのだが…。

 この後、'87年までデッドは音源をリリースしなくなってしまう。そうした状況で日本ではすっかり忘れさられ、アメリカでもマスコミが大きく取り上げることはなかった。が、その間、常に年間80本をこえるコンサートを行い、メンバーのソロ活動も積極的だった。思うに、この期間にメンバー達は最もライヴ演奏を楽しんだのではないだろうか。ファンとコミュニケーションできるサイズの会場で、プレスなどからは邪魔されることなくプレイに集中することができたのだろう。'86年にジェリー・ガルシアが昏睡状態で病院へ入った時、ぼくはデッドがまだ現役バリバリで活動していたことを知って驚いたものだ。

'87年作「IN THE DARK」, ARISTA

 そして、'87年。『イン・ザ・ダーク』が発表され、ビルボードLPチャートで6位、CDチャートで1位。シングル「タッチ・オブ・グレイ」もユーモアあふれたビデオにあと押しされ、その結果9位まであがるというバンド始まって以来の大ヒットとなり、若いデッド・ヘッズも急増することとなる。

 またこの年には、ボブ・ディランとのジョイント・コンサートが6回行われた。一部、二部のデッドのみの演奏に続いて、ディランのバックをデッドが務めるという内容だ。その様子は、'89年に『ディラン・アンド・デッド』として発表されている。ディランのファンにはあまり受けが良くないようだ。楽曲は全てディランのものだが、演奏は完全にデッドのペースだった。確かにディランのアルバムの中では異色だが、デッド・ファンにとってはたまらないものとなっている。急増したファンのために、デッドは大きな会場でコンサートをしなければならなくなった。そのため、ジェリーは“ジェリー・ガルシア・バンド”を結成し、小さめの会場でデッドと並行して活動するようになる。

'89年作「BUILT TO LAST」, ARISTA/ARCD-8575

 '89年には最後のスタジオ・アルバムとなった『ビルト・トゥ・ラスト』を発表。前作の大ヒットもデッドには関係なく、実にリラックスした作品となっており、とりわけガルシア作の名バラード「スタンディング・オン・ザ・ムーン」が光る。

 '89年秋から'90年春にかけてのツアーを収めた2枚組ライヴ・アルバム『ウィズアウト・ア・ネット』は、ぼくがデッドにはまったきっかけを作ったアルバムだ。ぼくにとってのベスト・アルバムを選ぶとすれば、この1枚に限る。このアルバムは、なるべく大きな音で聴いてもらいたい。デッド・ヘッズ達の間でもこの時のツアーは抜群に人気が高く、バンドとしてのコンディションも頂点のひとつを迎えていたのだと思える。このツアーの後、まだ若くこれからの活動も期待されたブレント・ミッドランドが他界するというアクシデントがデッドを襲った。が、次のツアーでは、ソロでも成功を収めているブルース・ホーンズビーと元チューブスのヴィンス・ウェルニックをキーボード、ボーカルとして迎え、新生デッドが誕生した。ブルース・ホーンズビーはゲストに近い存在で、'92年春を最後にデッドのステージには立っていないが、近年のブルースの作品からは、彼がデッドに参加したことから得られたものが感じられる。

'92年リリース「TWO FROM THE VAULT」, Grateful Dead Records

 時代は'90年代に突入し、彼らの古いライブ音源が立て続けに発表された。'91年には『ワン・フロム・ザ・ヴォルト』('75)、'92年には『トゥー・フロム・ザ・ヴォルト』('68)、'95年には『ハンドレッド・イヤー・ホール』('72)、'96年には『フィルモア・イースト』('69)と、『ドージン・アット・ザ・ニック』('90)。おそらく、'90年以降のデッドは、'80年代前半と同様にライヴ活動に集中していたのだろう。

 そして、'95年7月9日。この日シスコで開催されたコンサートが、グレイトフル・デッドにとって最後のものとなってしまった。バンド最大の柱であるジュリー・ガルシアが亡くなったのだ。しかし、デッドのメンバーが解散コメントの中で言った通り、デッドの音楽はそれ以降を生き続けている。フィッシュ、ディヴ・マシューズ・バンド、ワイド・スプレット・パニック、レフト・オーヴァー・サーモン、モーといった若いバンド達は、常にライヴを中心に置いた活動から人気を得ているし、インターネット上を見渡してみると、今でも続々と新しいデッド・ヘッズやフィッシュ・ヘッズが生まれていっていることが分かる。

 ぼくに、音楽は自由であり、楽しむためのものだということを最も実践し教えてくれたのがグレイトフル・デッドであった。彼等の魅力はと訊かれたなら、ぼくは「自由」だと答える。なぜ30年間に渡り2,318回ものコンサート、480曲をのべ3万6,504回演奏してきたバンドが、特に'80年代以降一聴するとルーズに聞こえる演奏をしたのか? '70年代のスタジオ作で聴くことができるタイトな演奏、いわゆる「上手い」と言われる演奏をするのは、彼等にとって容易なことだったに違いない。曲順や曲の長さ等、あえて、何も決めないプレイを彼らは好んだ。「音楽は生き物であり、決められたものからよりも、より自由なところから良いものが生まれる」ことを知っていたに違いない。

 デッドの演奏シーンを収めたヴィデオを見ても、これほどメンバーが楽しそうにニコニコと笑っているバンドは他にはない。確かに派手なアクションがあるわけでもなく、いわゆるロック・スターのカッコ良さは無いかも知れないが、音楽の素晴らしさ楽しさは最高に伝わってくるのだ。頭蓋骨のてっぺんを羽毛でなでられるような(誰かの受け売りだがピッタリの表現!)ジュリーのギター、地味なリズム・ギター風だが良く聴くとジュリーのギター以上にコピー不能と思われる隠れた天才ボブ、こんなにコード進行を無視したベース奏者は他に見あたらないにも関わらずバンドのサウンド・カラーの根底を支えたフィル、実はともにパワー・ドラマーでありテクニシャンでもある二人のドラマー、それぞれの良さをデッド・サウンドに生かしその時々のバンド・カラーを決定してきたキーボード奏者達。味わい深いヴォーカルと演奏、それらが絡まり合い、突然訪れるエクスタシーの瞬間。それは、時に普通の曲中にあったり、長いインプロヴィゼイションの中にあったり、また聴いている日が違えば、違う瞬間にそれが起き、聴く者の体調や環境が違えば違う時にそのエクスタシーは訪れるのだ。

 日本でコンサートを行うこともなく、人気も高くない彼等の音楽の魅力に少しでも興味を持ってくれたなら、ぜひグレイトフル・デッドのアルバムを聴いてほしい。インターネットにアクセス出来る環境にある人は、海外をはじめ、日本国内にも数多くの存在するデッド関連のサイトをさまよって見るのも楽しい。

 デッドのオフィシャル・ホームページのアドレスは、<http://www.dead.net/>。各種インフォメーションをはじめ、オンライン通販でCD、ヴィデオ、本(デッド・ベースというデッド・ディクショナリーは、ハマるとやめられないすごい本)、ポスター、Tシャツなどが買えるページもある。もちろん、内容は全て英語だが、それほど難しい英文は出てこない。通販のみで売られている「ディックズ・ピックス」シリーズのライヴCDは現在Vol.12まで出ており、基本的にはCD3枚組でその日のライヴがすべて収録されているというもの。ここだけの話、デッド・ヘッズのぼくにとって、これはやめられない! 3枚組で$18,50というお手頃な価格もうれしい。オンライン上には、その他にもありとあらゆるサイトがあって本当に面白い。さあ、ぼくと一緒に楽しもう。

TEXT/Small Stone“ロバQ”(moma@mx3.tiki.ne.jp


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