BLUE RECORD#067 (2001年5月1日 発行号)

小曽根 真 & 中村健吾,ライヴ・アット・勝福寺 2001 SPRING

TEXT by 江原義空(勝福寺・住職)

 

 『勝福寺ライヴ』の計画が動き出したのは、昨年(2000年)11月上旬のことだった。世界で活躍中のピアニスト・小曽根 真さんとベーシストの中村健吾さんを招いて実現した今回の勝福寺ライヴは、大成功のうちに幕を閉じた。

 勝福寺は総社市郊外にあって、自然環境は抜群によいが、利便性には恵まれず、辺りは山々とのどかな田園風景の広がる、所謂田舎の小さな地方寺院である。別に名刹でもなく、観光名所でもない。当初、僕自身がこの計画を進めていく上で、実際に成功することは難しいのかも知れないと感じていた。しかし、プレイヤー始めとする多くの協賛者の力を得て見事に実現、そして成功したのだ。今回はそのライヴが実現に至るまでの過程を記してみたいと思う。

 昨年の6月7日、僕は小曽根さんのソロ・ピアノを聴くため、兵庫県香住町にある『モノラル』というライヴハウスへ足を運んだ。これより少し前に、たまたまモノラルのホームページを見つけて仰天した。パソコンのブラウザー上に『小曽根 真 Solo Live』という文字が出てきたからだ。「ひぇ〜!小曽根さんのソロ・ピアノ!だけど香住って何処なん?あの小曽根さんが何で香住なん?」

 僕は未知の世界であった、香住という町に興味をひかれた。そして、兼ねてから是非とも小曽根さんのソロプレイを聴きたかったぼくは嬉しくなり、すぐお店へ問い合わせのメールを書いた。間もなくレスが帰ってきて、数日後チケットをゲットした。

 兵庫県香住町。小さな町だけど、日本海に面していて空気も綺麗だし本当に良いところだった。人も温かいし、お魚も美味しい。僕は一遍にこの町が気に入ってしまった。さて肝心のモノラルは、決して大きくはないけれど、何とも言えない良い雰囲気が漂うお店だ。小曽根さんがここへやって来る現実にも、思わず納得してしまった。

 8:00pm。演奏が始まった。Pianoの素晴らしさは人間性と共に特筆すべきものがある。僕は心を鷲掴みにされた。時折目頭の熱くなってしまうような「音」、一体この不思議さは何なのだろう。そして当時、まだリリースされていなかったアルバム『PANDORA』からPANDORAという曲を弾かれた時には、思わず落涙してしまった。言葉にならないほどの感銘を受けた。僧職にある僕が言うのも変だが、心が洗われているみたいだった。小曽根さんの演奏は、学生時代に先輩から「素晴らしいプレーヤーだ」と紹介されて以来、今まで何度も生音を聴いているのに、その夜は特別に入り込んでしまった。本当に「音」って何なのだろう。

 ライブの翌日、こんなにも素晴らしい企画をされた、ライヴハウスのオーナーであるTerryさんに御礼が伝えたくてメールを書いた。小曽根さんの情感の深さ、「音」の魅力、そしていつしか自分も企画してみたい、と。それからTerryさんとのメール交換が始まった。二人ともすっかり意気投合してしまって(僕が勝手に思っているのかも知れないが)、事あるごとにメールを交わした。お店にとっては一客でしかない僕に、都度ご丁寧なご返事を返して下さるterryさんという人物も偉大なお方であった。小曽根さんと仲が良いわけだ。

 そして11月。唐突にTerryさんから、「はっきりとは分からないけど、2001年3月に、小曽根さんがベーシストの中村健吾さんと共に全国ツアーに出るから、勝福寺でもやってみるかい?」とのお誘いをいただいたのだ。

 現在ニューヨークで活躍中の中村健吾さんが、小曽根さんのプロデュースで1stアルバムをリリースされる、その発売記念ツアーだった。恥ずかしながら、僕はこの時初めて中村さんの存在を知った。「いずれにしても、小曽根さんと一緒に演奏されるお方だ、素晴らしいプレイヤーに違いない」と、一気に気分が高揚した。

 僕はこのチャンスに戸惑うことなく、即、Terryさんからの提案を受け入れた。そして、ひとつずつ環境面の問題をクリアする、という現実に挑んだ。その裏には、Terryさんを始め、地域、檀家、友人、家族の絶大な協力があったことは言うまでもない。僕はどうやら人間関係には恵まれているようだ。余談だが、僕は宗祖(空海)の説かれた生き方に基づいて生活を心掛けて来たが、それが間違いのないものであったと、改めて再確認した。

 その日を境に、ライヴ当日までの数ヶ月間、僕は様々な準備に走った。Terryさんのご紹介で小曽根さん達にお会いしに行ったり、宣伝用のポスター・チラシ・チケットを作ったり、地元のFM局にも告知に向かった。また、臨時駐車場の手配をしたりと、その内容は細かいところまで多岐に及んだ。準備を進めて行くうちに、色々な方面のエキスパート達ともご縁をいただいた。第一線で活躍されているような人は、皆さん本当に素晴らしい方達ばかりで、上手く表現できないが、僕の中で眠っていた何かが目覚めた。「自分もこんなことではいかんわ!」と。出会いは不思議なものだ。自分の人生において、出会いが持つ意味は非常に大きい。

 2001年2月25日。遂に念願の中村健吾1stアルバム『Divine』がリリースされた。僕は早速CDを聴いた。1曲目を聴いた時に、身体中に鳥肌が立って、涙が出た。とにかく中村健吾さんに1日も早くお会いしたくなった。技術面は勿論、素朴だけど純粋なメロディーがストレートに伝わってくるのだ。本当にたまらない。鳥肌が立ったのは、小曽根さん以来、8年振りのことだった。僕は小曽根さんに続き、一遍に中村健吾さんの信奉者にもなってしまった。 

 3月1日。突然、TBSの『News 23』のディレクターさんから、「勝福寺ライヴの模様を中心に、お寺の様子、そして義空和尚を取材させていただけますか?」との依頼電話があった。『幸福論 〜路上にて〜』の枠で、何と約20分もある特集だと言う。僕は「えっ、TBS? News 23? 僕の一番大好きな筑紫哲也さんのあの番組? 嘘でしょ? どうしよう? これはえらいことになったぞ!」と、驚きすぎて熱が出そうになった。しかしすぐ冷静さを取り戻し、快く承諾した。

 3月4日。『News 23』のディレクターさんが来山された。さすが23に直接関わっているだけあり、頭のキレが違う。お話ししていて、楽しいし面白くてたまらないのだ。この日は簡単な打ち合わせをしただけで、ディレクターさんはすぐ東京へ帰って行かれた。

 3月17日・18日。再びディレクターさんが来山された。今度はカメラマンさんと音声さんも一緒だ。2日間に渡り、お寺の風景、仏教講話の様子、早朝に一人本堂で籠もって拝んでいる僕の姿の撮影。この方達には僕の姿をどのように感じておられるのだろう。カメラマンさんからも音声さんからも、仕事に対してのこだわりが要所要所でヒシヒシと伝わって来た。勉強にもなったし、感動すらした。それを始終見守っているディレクターさんの姿が妙に渋かった。

 3月23日。いよいよ『勝福寺ライヴ』当日を迎えた。

 ライヴの開演は7:30pm。午前中は、最後の詰めに追われた。会場の準備、ピアノの調律、音響テスト。ライブにたずさわってくれる方々の全てに余念がない。会場付近の道路に看板を出す人、関係者がホームに到着される度に総社駅まで出迎えに行ってくれる人。また、台所では女性陣が、ライヴ終了後の打ち上げ用に愛情一杯の大量のおにぎりを手を真っ赤にしてにぎっている。おにぎりには、5升分のお米が用意されていた。近所のお婆ちゃんも“特性野菜炊き”を作ってくれた。更に境内の庭では、ファン姉妹が、芸術的で本当に綺麗なお花を飾ってくれた。テレビの画面にもよく出ていたあのお花である。僕がふにゃふにゃと頼りないせいか、その分、お寺のお世話人とか友人など、とにかく良く動く。動く。本当に感謝感激した。そうこうしているうちに、あっという間にお昼が来て、全員でおにぎりを試食した。これが実に旨かった。手作りにまさるものはない。

 お昼過ぎ。全体の最終確認をしていると、東京からプロモーターさんをはじめとする、関係者の方々が続々とお見えになった。色々なお話をしているうちに、ついに3:00pm、小曽根 真さんと中村健吾さんが勝福寺へ到着。「ひゃ〜、当たり前だけど本物だ。格好いい〜!」と、思わず心の中で合掌してしまった。

 小曽根さんとは、既に12月に一度お会いしていたが、健吾(中村)さんとお会いするのはその日が初めて。CDを聴いてからお会いするのが楽しみで楽しみで仕方なかったが、健吾さんと握手を交わした途端に直感した。情感の深さが僕の想像した以上で、思わず目頭があつくなった。お話をしていても、とても素敵な人だなとつくずく印象深いものがあった。僕はまず最初に、スタッフと共に小曽根さんと健吾さんを本堂にお連れして、ご本尊の御前で般若心経1巻を恭しくお唱えした(小曽根さん、健吾さん、お付き合いさせてしまって申し訳ありましぇん。でも、ご本尊さまも凄く喜ばれていたと思いますよ)。

 ライヴの会場は客殿だ。舞台になる部屋には床の間があって、そこには、真言宗御室派の開祖、宇多法皇(掛け軸)を安置している。その横には、綺麗な「生花(御室流)」を兄に生けてもらった。余談だが、日本の文化は僕の五感を揺すぶる。

 本堂を出て、お抹茶をご接待しようかと思っていたら、小曽根さんが突然ピアノの前へ座って何やら弾かれだした。流れるような綺麗なメロディ、他の追尾を許さないその素晴らしい音色に浸ってしまった。そして「わぁ、良い子(ピアノ)入って来たねぇ。ここのピアノ、凄く気持ええわ、ずっと弾いていたい」と言われ、それを聞いて僕も安心すると共に、嬉しくなった。実はこのピアノ、ある篤信なお方が寄進して下さったものなのだ。せっかくならと、世界に1台しかないピアノにしたく、YAMAHA側の絶大な協力のもと、スペシャルオーダーで入った来たという豪華版。当日まで、音はどうか、コンディションはどうかと心配していたが、小曽根さんの反応を見て、その時やっと安心出来た。

 健吾さんも徐にケースから年期の入ったベースを出して、チューニングされているかと思うと、突然目の前で、2人の息のあった演奏が始まった。まさに世界の舞台を踏んできたプレイヤー達。凄すぎた。健吾さんのベースも心と音とが一体化していて、素晴らしすぎる。その場に居合わせたスタッフ達も、準備を忘れ、しばしその名演に聴き入ってしまった。

 リハーサルも終わり、控え室にてお抹茶で一服していると、玄関でピンポーンとチャイムが鳴った。出ていくと、そこにはNews23の看板キャスターである草野満代さんの姿があった。そうなのだ。今日は小曽根さんを取材する為に、わざわざ東京から来山されたのだ。本当に綺麗で思わず見とれてしまった。こんな人と結婚できたら幸せなんやろうなぁと思いながら、草野さんを控え室に案内して、みんなでしばらく色んな話をした。

 その後、1時間ほどの取材があった。『幸福』をテーマに、小曽根さんが熱く語り始めた。一言一句に深さと重みを感じた。無事取材も終わり、草野さんは東京へ帰って行かれた。凄くライヴを楽しみにされていた様子だったが、その夜はニュースを読まなければならぬらしく仕方がない。

 6:00pm過ぎ。寺の周囲には、既に行列が出来つつあった。皆さん、思い思いに境内の雰囲気を楽しんでいたようだ。

 7:00pm開場。僅か数分で客殿は満員御礼状態となった。

 7:30pm。梵鐘が聞こえる中、まず、僕の簡単な挨拶(ライヴ実現に至るまでの経緯)があって、演奏の前に感謝の誠を捧げるため、勝福寺ご本尊さまに『声明(お経に音符をつけたもの)』を1曲、兄に唱えてもらった。

 7:40pm開演。大きな拍手の中、小曽根 真さんと中村健吾さんが客殿に登場。白熱した演奏が始まった途端、客殿は一気に深い悦楽の世界へと導かれて行った。2人の息がぴったりだし、お互いとても楽しそうである。お客さんも、スイングする人、じ〜っと聴き入る人と、様々だ。バラードになると、ハンカチで涙を拭う人の姿も見受けられた。「みんな、平素は色々なことがあるのだろうな」と、僕も一人思いに耽っていた。

 とにかく良い雰囲気だ。演奏の合間に入るトークも面白い。一端すべての曲が終わり、客殿を出て行かれようとするお二人を僕は大きな声で引き留めた。もうすぐお2人の誕生日なのだ。25日が小曽根さんの誕生日で、29日が健吾さんの誕生日。

 プレゼントに“特性パン”を用意していた。しかし、僕の声はアンコールの拍手でかき消されて伝わらない。仕方ない、次のチャンスを待とう。盛大なアンコールの中、再び登場。恥ずかしさを紛らわすために「パンパカパ〜ン!」などとくだらないことを言いながら、スタッフの女の子達が無事渡してくれた。

 

 勝福寺にとって記念すべき第1回目のライヴは、こうして無事に終わった。お土産に、プレイヤー達を仏さまに見立てた素敵な絵のポスターカード(学生時代の先輩が記念に描いてくれたもの)をお渡しし、それで、幕を閉じた。 
 今回のイベントを通して、強く感じたことがある。夢は思うだけではなく、情熱を大事にして創意工夫を重ねることによって、必ず実現するものだ、と。

TEXT by 江原義空(勝福寺・住職)

 


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