Welcome, a BLUE RECORD OFFICIAL WEB!! This Site changed on October 28th, 1999.
![]()
A DAY.(1999.9.22, TOKYO LIVE !!)
BLUE RECORD#049('99.11.1 RELEASE), TEXT/HAJIME YONEDA(marlboro@bluerecord.com)
原宿クロコダイルは明治通り沿いにあるライヴハウス。が、ストリートに面しているわけではない。狭く、急傾な階段を下り、突き当たった暗い地下室への扉が、エントランス・ドアになっている。ドアを開けるとすぐ、テーブル付の客席が薄暗いホール全体に広がっており、左手にカウンター、正面にはステージが設置されている。
急傾な階段を降りる途中から、ドラムの音が聞こえていた。ツインドラムだ。重圧なリズムが絶妙に交差していた。すでに20時を回っている。ミラクルシャドウのライヴは、もう始まっていた。
/
安田しん二(Vo.&Dr.) SMAP、森川美穂、久松史奈、森高千里らの楽曲制作、サウンドプロデュースを手掛ける。
現金と携帯電話とモバイル用のザウルスをジーンズのポケットに押し込み、人通りの絶えない渋谷駅の片隅で上半身裸になって着替えを済ませ、重い手荷物をコインロッカーに放り込んだのが、午後1時過ぎ。前日からの雨が、さらに勢いをましていた。
ハチ公前の改札口を抜け、そのまま明治通りに向かう。歩きながら周囲の建物に気を払い、地理を確認してゆく。不安なのだ。改札口から明治通りまでは徒歩で数分の短い道のりだが、年に数回しか東京に出てこないぼくには渋谷の地理が把握できていない。それでも新宿の地理は大まかに分かってきた。仕事も宿泊も、待ち合わせも食事も、全て新宿で済ませることが多いからだ。
明治通りと書かれた標識を目にすると安心した。迷うはずもないほど単純な道のりなのだ。が、それでも行き着くまでは不安だった。この通りを原宿方向に歩いていけば、右手にクロコダイルがある。地下に続く階段を下り、入り口で当日売りのチケットとドリンクを注文すればいい。普段は行き当たりばったりの私生活だが、そういうごく短いスケジュールぐらいは立てられる。
安心すると腹が減った。東急ホテルの正面にある小さなコーヒーショップに入り、種類の違うホットドックを2本と珈琲を注文し、イスに座ってザウルスに携帯電話を接続し、E-mailの受信チェックをはじめた。都内では、普段使っているデジタル・ツーカーのスカイメール機能が使えない。倉敷からの連絡は、緊急であれば直接携帯電話に、そうでなければE-mailで送られてくる。いつものようにPowerBookを持ってこなかったから、データ容量の大きな画像やデザイン物の添付書類は受信できないのだが、テキストであれば受信可能だ。そもそも、添付書類をザウルスに送りつけてくるほど気のきかないスタッフはいない。
村上ムッチ(G.) リードギター担当。ギター教室の講師、スタジオ・ミュージシャン 等々、幅広い音楽活動を展開している。
E-mailは3通届いていたが、仕事絡みのものはなかった。岩手県に住むメール友だちの書いてくれた1通だけに目を通し、ホットドックを食いながら短い返事を書き、残りの2通は中身を読まずに削除した。タイトルを見ただけで、頻繁に送られてくる海外のアダルトサーバーからの勧誘テキストだと分かる。その類のE-mailに隅々まで目を通してるやつもいないだろう。珈琲をもう一杯注文し、remixマガジン編集部に電話を入れた。編集長の若野ラヴィンは取材に出かけており、17:00過ぎまで帰社しないとのこと。応対に出た、若いスタッフがそう教えてくれた。remix編集部は渋谷区の桜ヶ丘町にある。都合が合えば、久しぶりに会いたかった。
空いた時間をどう埋めようかと思案しつつ、駅まで引き返し、雨の中、傘をさしたままで、他人の歩く姿や駅前の風景を眺めていた。そして、東急ストアの横に映画館があるのを見つけた。『THE MATRIX』が上映されていた。ワーナーとの契約後、映画『暗殺者』の脚本で一世を風靡し、'97年に『バウンド』で監督としてデビューしたラリー&アンディー・ウォッシャウスキー兄弟が脚本・監督・製作総指揮を手掛けた話題作だ。雨に濡れながら迷っている理由はない。ポケットの中から溢れ出しそうな100円玉を引っぱり出してチケットを買い、すぐさま劇場に飛び込んだ。前日には新宿で『eyes wide shut』を観ていた。二日続けて、劇場で違う映画を観るのは初めてだった。同じ映画を二日続けて観たことはある。
ラスト近く、主人公のネオを演じたキヌア・リーブスが、トリニティ役のキャリー=アン・モスを乗せたヘリコプターを救出するシーンの迫力に圧倒されたまま、エンディングのテロップをぼーっと眺めてしまった。魔法の様なVFX(ビジュアル・エフェクト=視覚効果)の技術に打ちのめされてしまったのだ。そのカットのCG制作とデジタル合成を担当したのはオーストラリアのDフィルム・サービス社だ。オーストラリアのVFX技術は素晴らしい。『ベイブ』を手掛けたアニマル・ロジック・フィルム社(日本では、テレビCMで目にするダンシング・ベイビーのCGを制作した会社だと表記する方が通りが早いのか?)もオーストラリアだ。そして、そのアニマル・ロジック・フィルム社もまた、『THE MATRIX』のVFX制作に参入している。エージェントの顔が不気味に変形してゆくカット等は、彼らの仕事なのだ。
17:00を回った頃、ぼくはAKIKOの務めている広告代理店に電話を入れた。BLUE RECORDの誌面にコラム『TOKYO LIFE』を連載しているAKIKOだ。AKIKOの会社は渋谷から近い。前日の夕方、新宿西口のドトールで落ち合い、ミルクティーを飲みながら、ミラクルシャドウのライヴに一緒に行く約束をしていた。退社時刻は18:00だと聞いていたが、AKIKOの口ぶりから判断すると、どうやら残業になりそうな気配だ。それでもAKIKOは、「18:30にハチ公前で。たぶんOK」と、あやふやな言い方をした。自分のオンナではない女から「たぶんOK」と言われたときには、「おそらくOKではない」と解釈しておくべきだ。
吉岡よすお(B.) 大学時代よりプロミュージシャンとして活躍。山川健一、So Much Troubles 等のサウンドプロデュース、演奏、コーラスを手掛ける。レコーディング、ステージ 等では数多くのバンドをサポート。現在、日本を代表するベーシストの一人として評価されている。
AKIKOへの電話を切るとすぐ、携帯電話の着信音が鳴った。インターネットを通して友だちになった弦ちゃんからだ。BLUE
RECORDのHOMEPAGEでぼくが東京に出てきていることを知り、連絡を入れてくれたのだ。弦ちゃんは仕事を早退し、原宿をうろついてるらしい。夕方から始めるライヴの開場時間を待っているのだ。ライヴと言っても、クロコダイルで行われるミラクルシャドウのライヴではない。ホットハウスフラワーズのフロントマンであるリアム・オ・メンリィのライヴだ。ジャパンツアーのファイナル・ステージが、その日、原宿にセットされていた。弦ちゃんとは一昨年の秋だったか、都内のアイリッシュ・バーで黒ビールをおごってもらったきり会っていない。ぼくと歳は離れていない。一流企業に勤務しているが、見栄えは一流ではない。そこがいいところだ。ぼくらの歳で見栄えが一流のやつにろくな人間はいない。
すぐにでも会いたかったが、AKIKOとの約束が気になった。断らざるおえなかった。紀伊国屋で雑誌を買い、珈琲を飲みながら時間をつぶした。18:30にハチ公前まで行ってはみたが、AKIKOの姿はなかった。予想通りだ。オンナではない女のあやふやな言葉を信じてはいけない。が、オトコでもない男の誠実な言葉を信じるよりは、はるかにましだ。雨の中、一人でハチ公と向き合って過ごすのは、あまりにも気が重い。一人で晩飯を食いに行くべきだ。午前中、カツカレーが食いたかったことに気づき、歩きはじめた。
AKIKOと合流できたのは、結局19:50だった。おしゃべりをしながら明治通りを早足に歩き、ライヴハウスへ向かった。クロコダイルと書かれた電気看板の前にたどり着いたときには、すでに20時を回っていた。急傾な階段を降りる途中から、ドラムの音が聞こえていた。
/
客電の落ちたホールは観客に埋め尽くされていた。ぼくらは人と人との隙間をくぐり抜けてカウンターに向かい、瓶ビールを2本もらい、それをラッパ飲みしながら最後列からステージに目をやった。スモークが炊かれており、それが照明の光に照らされ、色づきながら空間を泳いでいた。4人のメンバーに加え、サポートのミュージシャンの姿も見えた。聞き覚えのある曲が立て続けに演奏されていった。ベースの吉岡よすおが事前に送ってくれたディスクの中に収録されていた曲だった。
津久井克行(Vo.&G.) '93年、ポップ・デュオ“class”でデビュー。代表曲「夏の日の1993」はミリオンセラーを記録した。
ミラクルシャドウのステージは、レコーディング同様、アナログ・サウンドに重点を置いた、しっかりとした音作りがなされていた。彼らはデジタルを頭ごなしに否定しているわけではない。あくまで、アナログにこだわっているのだ。デジタル機器を乱用した画一的なSOUND
MAKERたちとは対極したスタイルを貫いている。個人的には、そういったスタンスを自己の音楽スタイルのベースに持つミュージシャンが好きだ。それを貫くためには、指先のレベル調整ひとつで多彩な音世界を創造してゆくという技術ではなく、肉声や楽器から発せられる無垢な音に表情をつけてゆくという技術が不可欠となる。決して、チープな作業ではない。そこに求められる技術は、いわゆる、職人技と言うやつだ。
'97年の終わり、1stアルバム、2nd及び3rdシングルのレコーディングとミックスダウンを終えたメンバーはロンドンに渡り、クリス・ブレアをエンジニアに迎え、ABBEY ROADでのマスタリングを行っている。自分たちのメディアが世に出るまでの最終の過程で、ビートルズのレコーディング・セッションにも参加したクリス・ブレアを起用したという点がにくい。
レコーディングの全課程において、デジタルと名の付く機材は一切使っていないと聞いている。そこで使用された楽器も全てヴィンテージだ。彼らの純真なスピリッツが随所に散りばめられた1stアルバムは、ドラム左チャンネル、ギター右チャンネルという、ビートルズ時代の完全アナログレコーディングだった。
Miracle Shadow WEB SITE『奇跡の館』http://member.nifty.ne.jp/mirasha/
ニ胡(胡弓)奏者のジャー・パンファンがゲスト参加し、ヴォーカルの安田しん二がエレクトリック・シタールを手に「青い東京タワー」を熱唱したところで第一部が終了。
短い休憩を間に挟み、吉岡よすおとギターの村上ムッチのユニゾン・ヴォーカル「君がそんな奴だったなんて」の演奏で第二部がスタート。津久井克行のヴォーカルで「夏の日の1993」、安田しん二のピアノ弾き語り、デビュー・ナンバー「こじれたふたり」、森高千里に提供した「道」、新曲「海の彼方で」と続き、最後は今年1月にSMAPがカヴァー・リリースした「朝日を見に行こうよ」で幕を閉じた。
ぼくは安田しん二が歌っている姿をこの日はじめて目にしたが、彼の書いた楽曲には過去に何度も出会っていた。中でも、この「朝日を見に行こうよ」の純真でセンチメンタルでドラマティックな歌詞の世界が大好きだ。“いつか大人になって恋をして心が変わっていても 今見てる風景のように変わらないものもある”という一節が心に響いてくる。ステージの上にいる彼らもまた、恋をし、挫折をし、誰かに裏切られ、誰かに支えられながら生きてきたに違いない。だけど、はじめて楽器を手にした遠い昔から、ずっと大切にしているものがあるはずだ。だからこそ、ミュージシャンで居続けられるのだ。
1st アルバム『奇跡の影』
アンコールで再びステージに立った彼らが聴かせてくれたのは、'70年代のポップスをアンプラグド・スタイルでアレンジしたメドレーだった。「Hard
Luck Woman」〜「No Matter What」〜「Sister Golden Hair」〜「Dust In The
Wind」〜「Dance With Me」〜「Baby Come Back」〜「Throw Down The Sword」といったゴージャスな流れだ。ミラクルシャドウは客の期待を裏切らない。アンプラグドでのクオリティの高さは絶品だ。プレイ中、キーボードの川勝陽一が使っていたの足踏みオルガンと、吉岡よすおが抱えていたギルドのアコースティック・ベースが印象的だった。
アンコールを終えた彼らは、最後にもう一曲だけ披露してくれた。1stアルバム『奇跡の影』のラストに収録されている「君と僕のバラード」だ。まさにラストナンバーにふさわしく、おだやかに月が影ってゆく様なメロディーラインを持つ、スローテンポのバラードだった。村上ムッチの爪弾くガットギターが泣かせてくれた。
舞台照明が落ち、スタッフが機材を片づけてゆく。残業で疲れているAKIKOを、早く寝かせてあげないと。
![]()
(C) Copyright 1997-1999 by BLUE RECORD. All Rights Reserved.